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2015年6月23日

命日

本日6月23日は父の命日です。あれから4年が経ちました。今年は父の日に夏至にと数日の違いこそあれ全部がタイミングよく揃った感じです。(父:俺を思い出してくれよ〜!:そんな思いが込められているようで笑えました^^:いつだってともにあるのに…)

父への思い、しいては家族への思いをあえて振り返るなら、私にとってはとても複雑なものです。ただ、それも人それぞれに色んな現象界に生きている証しなのだから…とも思っています。私の幼少期からの過去をたどれば、実際に辛く悲しかったことの方が多かったと思います。

また、父が亡くなってから今日までの4年間に、起こるべくして起きた?!まさに家族的カルマ落としの大いなる出来事に向き合うことになったことも感じています。正直、それは私にとってはどうとも何とも表現のしようのない苦痛であり悲しみでしかありませんした。

とてつもなく荒れ狂う内なる感情の嵐に向き合ってきて感じたのは…

自由なる解放と快感とは苦しみの中にこそある…

という皮肉なものでした。このレッスンは、これまでの”私”を壊すのには充分なものでした。それこそが皮肉なものでした。これはいうなれば、溯って私の祖先に受け継がれてきたカルマをみた気がしました。それと同時に、私の中に脈々と受け継がれている「愛」なるDNAの存在も明確に知ることになったと思います。そう、もう、

わたしとは愛であり、宇宙に存在する生きとし生けるものすべては愛でしかないのだ…

そんな気づきの一方で、相変わらず目の前に繰り広げられる現象界は、大波小波に漂って嵐のときもあれば大いなる静けさにあるときもあり、人生という名の大海原に勇敢にも”ひとり”一艘の船に乗って旅をしているようなもの…「ああ〜もう〜いつだってこんな旅やめてやる!」と思いつつもただひたすら船は漂う_目的地のない旅…

そんな感覚がいまではあります。

ときには全力でオールをこぎ、ときに夜空を眺めて船を漂わせ、あっ島だ!としばし船をおろし、見知らぬジャングルに踏み入って生きながらえる…生きる…生きる…生きる…そうなんだよな…どうあれこの身を持って生きるってことなんだ

イヤでも期限付きの旅。のたれ死のうが突然幕引きがあろうが、大いなるものに用意されたストーリーの”私”を最期まで演じ切り、願わくば、一惑星が燃え尽きて消滅するように完全に燃え尽きることが出来れば、私という一存在の役割を果たして昇華され、また大いなる宇宙エネルギーの中に融合して帰ってゆけるのだろうから。。

この身を持ってこの世に落ちた。…そこにどんな理由があるのかなんて分からない。

ただ、ひとつ感じることは、すべての魂の中には、自然と導かれていくところがあるように思うのです。いかに内なる声に純粋さと信頼をおいて”私””わたし”とバランスよく調和して歩んでゆけるか。

父の生き方、家族、何らかのご縁があってはこの世に落ちた。意味なんてなにもない…けれども、宇宙の法則に従うならば、そこに意識:エネルギーを向けたときに物質化する…つまりは”私”なる人生の想像&創造の世界であり現象界なのだろうな。だもの、

やはり原点にもどって愛として生きてゆけたら最幸だ…

父の命日。そんな思いを巡らせてみた。

💗

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