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2016年2月27日

ヘアカットのとき

昨日、髪を切って来ました!思い切りバッサリと^0^

スッキリ♡しました (^▽^)/

たぶん、特に女性でしょうか?髪を切るのにある種の決断といいますか、覚悟といいますか、何かを変えたいときに思い切るように感じます。そう、思いを切る!ズバッ。。(笑)

髪は神経の束だそうで、またそのときの記憶(データとでもいいましょうか?!)の束でもあり、そのときどんな物を食べていて、どういうストレスがあって、どんな病気したかなどなど…そういったことまで分かる?のだそうです。

ということは、単純にいいこともイヤなこともすべてを記憶として刻まれそこにある…ということになりますね。。(うわ〜重っ^^💦)私、つい数日前(たぶん満月の頃ですわw)

うん。髪を切ろう。。

という衝動が湧き上がりました。

髪と言えば、私の人生の大半はロングヘアで、たぶん18歳くらいから20年以上ずっとロングでした。ある時デジタルパーマに大失敗して髪がとても傷んでしまい😭 それがきっかけで(やむを得ず..uu)顎のラインまでのボブにしました。

Oh…(* ̄∇ ̄*)

髪を切ってから、シャンプーもブローもめちゃくちゃ楽になりました

なぜだろう?私は20年以上もロング(ヘアスタイル)を変えられなかったのだろう?と、単純な疑問が湧きました。思えば、若かりし頃の私は「本当の自分」「もう一人の自分」とが極端にあったように思います。

これは奥深い心理的なものが働いています(ました)_ある意味”病”といってもいいかもしれませんね。

子どもの頃に感じてしまったコンプレックスが引き金になり「こんなわたしじゃダメなんだ」「だれもこのままのわたしなんて好きにならない」「もっと強くならなくちゃ」「わたしのことなんてだれも愛してくれない」「弱音なんてはいたら負けなんだ」etc,_みたいな。子どもながらに生きるために精一杯の自己防衛本能が作動していたわけです。ようは、コンプレックスがバネとなって強力なエネルギーを生み出していたとも言えるかもしれません。

今ではもう抵抗なく言えますが、我が家は完全に機能不全の家族であり親でした。

そのことを受け入れる、認める、子どもの頃に受けた心の傷や記憶の塗り替えをやめる、最悪の状況であったとしても本来の姿(現実)を否定しない、無力だった自分を責めない、嫌わない、他者(家族)を憎まない、恨まない、自分の願う理想とする家族であろうという虚しい努力をしない…などなど

自分以外の何者かになることをやめる…

この真意を肚の底から理解し、あらゆる抵抗やコントロールを手放したとき(手放すと宣言できたとき)ようやく…

私は楽になったのです…*:.。.☆゚

髪を切れなかったのも、本当は泣きたくて甘えたくて弱くて臆病な自分をさらけ出す事への強い抵抗と恐れの現われだったと思います。ようは、他者との関わりはすべて演じて作り上げたもう一方の自分であるため、本来の自分を解放することなどますます出来なくなってしまったわけです。いわゆるペルソナであり、まあ、ぶっちゃけ程度の差こそあれパーソナル障害の一種だと思います。

あのままだったら私は完全に壊れてしまったと思います。ラフなカウンセリングでしたが、実際、私の潜在的欲求は「破滅」と浮き彫りになったとき、さほど驚きはありませんでした。

強いファミリーコンプレックスからくる反動が当時の生き方を選択したわけです…無意識に。

いま思えばという話になりますが、すべてムダではなかったと思います。逆説的には、そういう段階があったからこその今なわけですし、霊性の成長のためには、人それぞれに起きる現象があり段階があるというわけです。

ですから、手放すということ自体にもタイミングがあると思います。

そのようにする”自分に”そのようなこと”をする必要がなくなったとき、そのステージを卒業することになる_というわけです。

卒業か留年か!? _それを決めるのも、やはり、自分自身でしかないのです。

う〜ん^^髪を切る ✂

髪は神経の束なので、切ったあとはまた新たな創造の機会を作ってゆくのだそうです。

へぇ〜♪ワクワクするねヽ(゚∇゚

それは春本番に向けてちょうどいい儀式なのかもしれません。

💗

3/12日(土)ヒーリング交流会♪ おあと2名席あります♪