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2009年10月22日

大切な人が逝ってしまう前に…

南田洋子さんが逝かれました。(ご冥福をお祈りしたいと思います)

それに伴って、南田洋子さんと長門裕之さんご夫妻のこれまでの歴史に

ついて、TVを通して知ることになりました。お二人のことについては、

ほんのストーリーの一部を表面的にしか知ることができませんが、私は

お二人の歴史を見ながらに”夫婦”とは、”パートナーシップ”とは、とい

う事ことについて、そしてまた”老いてゆく”という事について、ここで

改めて考える機会を頂きました。。。

 

私の母も軽度の認知症です。若い頃から苦労人の母は、50代になって

脳血栓、脳梗塞、高血圧と3度も倒れ、3度目の時はもうダメかもしれ

ない…と医師にも告げられたのですが、生命力の強い母は、奇跡的に再

びこの世に戻ってきました。最後に左手足に少し麻痺を残し、会話能力

も6−7割程に減り、そして、”認知症”という病気になってゆきました。

おかげさまで現在は、リハビリもあって杖を使えば、ゆっくりゆっくり

の歩調で歩けます。炊事も手の込むものでなければ、ゆっくりゆっくり

すればできます。1人でお風呂にも入れます。ただ、母は今66歳です

が、通常の会話は成り立ちません。今、そんな母の面倒を近くて見てい

るのは、あの父です。

 

あの父とは…家族を初め周りの理解者、特に、母にはとても苦労を背負

わせてきた人…。両親は、同じ夫婦で”離婚–復縁”と経験した二人です。

私は子供心に、父は母を苦しめる最悪の男…というふうに見えたし、彼

自分しか見えない身勝手な男…というふうにも見えました。そんな父

が今は母に尽くす役回りになっている…母だって、あんなに父を嫌って

いたのにね…確かに、私の”父と母”には違いないが、彼らの夫婦関係は、

腐れ縁なのか、良縁なのか、夫婦という形に課せられた、二人の人生に

どんな意味があるのかを考えさせられ、結論として、それは当人にしか

意味付けできないものだな…と、思う一方に、そんな二人を両親として

選んできた私の人生の意味を知る。そして今、自分が結婚をして”パート

ナー”を得て、夫婦とは… 人一倍そのあり方を思ったりしている。

 

父と母…お互いに傷つけたり、悲しませたり、苦悩し、葛藤し、罪悪感

に苛まれたり…愛というものを知らない者同士、愛を求めて繰り返す失

敗ばかりの人生…そんな過去に繰り返してきたことも、今御歳になって

振り返ってみれば、すべては無償の愛を知るためにあったレッスンに過

ぎなかったかもしれない。お互いがお互いに映し出して見たもの…愛は

自分の中にあったこと…愛を素直に受け取れなかったこと…愛とは身勝

手に奪い合うものでも、奪えるものでもないこと…愛とは真の忍耐であ

ること…

 

人は、”他”との関係の中でしか愛を学べないのだと思う。不本意ではあ

るが、傷つけた人がいてくれたおかげで傷の痛みを知る…そんなふうに

自分に関わってくれた、たくさんの人が居てくれたおかげで今の自分が

ある。そんな自分に一番近い人が、パートナーであり家族なのだと痛感

する。(すべての関わってくれた人に”ありがとう”を、過去の時空を越

えておくる…できるものならすべての思いを溶かし癒してゆきたい…)

 

肉体が老いるくらい年月を必要として学ぶこともあるのかもしれないが、

今私は思います。こうして自分が自分であれる時に、恍惚の人になって

しまう前に、私の人生の、一番身近なところで支えてくれている大切な

”パートナー”に、家族に、最も自然体な自分で感謝を示してゆきたいと。

 

『ありがとう』『愛してるよ』

もし、あなたを傷つけたなら…

『ごめんなさい』そんな私を『許してね』


ああ…これって、ホ・オポノポノの極意と一緒なんだ…


大切な人に、大切であるという気持ちを素直に伝えることは、私の心を

明るくするし、今日こうして幸せだと思える自分の人生が、もっともっ

と豊かである気持ちにしてくれます。今だから、今しかできないことを

毎日続けていたら…ずっと幸せな気持ちでいられるのかもしれない。

 

 

ちなみに私は…一日先に彼より早く逝きたい…これは最大の私の幸せ…