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2013年4月24日

流れのままに…Part2

縁起の法の基本となる考え方は「これあればかれあり これ生ずるが故にかれ生ず これなければかれなし これ滅するが故にかれ滅す」縁起の法は、ゴータマ・ブッダが自身の悟りの内容を表現しようとしたものとされ、この法が表そうとしている本質を完全に悟ったものを仏陀(正覚者・悟れるもの)という。「縁起を見る者は法を見る 法を見るものはわたし(仏陀)を見る」ともいわれる仏教の根本説である。

縁起とは縁(よ)りて起こること、起こる道理を意味する。縁(よ)りてとは条件を意味し、現象あるいは存在の相互依存の関係を表している。この法はゴータマ・ブッダ(如来)によって発見されたものであるが「この法則は如来が世に出ても出なくても、それに関係なく、法として定まり決定しているもの」と定義される。

いまさらですが「ブッダって…いだいだわぁ…」我々の人生(生活)自体が「縁起」であることを、最近身を以て実感しています。

モノゴトの「因果関係」_これは「縁起関係」に包括されるものであり、同一ではない。… ん〜〜なるほどです。。

私(あなた)の周辺でいま起っている様々なモノゴトについて、あえてその要因について考察するとき…「ううむ…なんともシンプルで明確だわ」と思わざるをえません。私においては、そのモノゴトが直接か関節かは別にして、私の過去(生立ち)における道程を振り返るとき…疑うべくもなく道理でみえてくるから不思議です。そのことがもし理不尽であればあるほどに、そこには様々な「感情」や「思い」が複雑に入り組むわけですが、ことの真実(真理)だけを見ようとするからば「なぜいまそうであるのか」はとても明快に理解できます。

そうなのです…デキゴト自体はいいも悪いも意味はなくただ起るべくして起きているだけ…なのだ。

であるならば、起きている事の目の前で「わたしはなにをすればいいのか」答えも自ずとシンプルに見えて来ることが冷静に分かります。
ああ…淡々と坦々とたんたんと…。潔く受け止め事に対処すること。

まさに、そうするがゆえに、それ滅す…の極意なり。。

きょうもまたみなの魂が静寂の中にありますように…