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2012年1月17日

直感とひらめきは似て非なるもの…

直感とひらめきは似て非なるもの…このことは、以前(どこかにあり^^:)ブログにも書いてきました。

私見になりますが、ざっくりいうと、直感は「自分自身の中に蓄積されている情報(さまざまな経験体験含む)からくるものが多く、ひらめきは「閃」という文字のごとく、どこからきたのかものが全く分からない暗闇に突然「光」がさすような感覚があると思います。ひらめきあるところには、思考が入り込む余地がありません。多くは、顕在する意識や自我を越えて、潜在的に眠っている意識とリンクしてくることが多いものなのだろうと思います。

ひらめきがよくて直感が劣るというものではなく両方とても大切なものです。直感はいい意味で瞬時に危険回避するなどすごく純粋かつ動物的な感覚でもあるので、自身の直感を信頼することはとても大切で、ひらめきに通ずるステップでもあったりします。

いずれも、計算(思考)して計算して堂々めぐりの据えに辿り着くものではないものですね。

私たちの顕在意識は全体の1%あるかどうかと言われていますから、残る「わたし(己)」の中に眠っている新しい可能性は99%以上あるということで、言い換えると、いかに狭い世界の中で「わたし」たちは生きているのか…とも言えます。

自我とはそんな狭い狭い世界に生き、常に顕在する意識の中で「あーでもない、こーでもない」と戦っているということなんだな…とも言えますね。

って、こんなことを書く気になったのも、

「ん…こんなこと…。なんてもったいないんだろう…。」って、

今さらながら感じるにいたり、そんな自分との戦いのような?!出来事が満載だった陰影-停止の2ヶ月…なのでした。


”イヤ”なことだとか”問題”というものがなぜ起るのか…

なぜ望んでもいない出来事を引寄せてしまうのか…

確かに、その出来事とは悲しいことかもしれないし大変なことかもしれません。ですが、出来事をよく観察してみると、その事自体が問題なのではなく、その事を通して感じている「自我の叫び」がほとんどです。意外と思うかもしれませんが、過去に満たされなかった自分(アダルトチルドレン)に繋がっていることがあったり、過去に信頼を裏切られた経験(トラウマ)であったり、または、保身がゆえの化身…これもエゴの仕業です。

多くの苦悩はそこに生まれているのに気がつきます。(いまさら…だけどいつもこの罠にかかるのが人というものなのかも…てか、私なのね…苦笑)

私の大好きな方*いまここの阿部敏郎*さんが、先日「対立」というブログを発信くださいました。

まさにタイムリーなメッセージでした。

「相手の心の狭さを責めるのではなく、何が起きているのかを正確に理解する知恵を持とう」

「いやなことが起きた時、その出来事を考え続けるのをやめれば、その状況は去っていきます…

あなたは”考え”という素材で、自分の現実を作り出しているからです」…

まさに。

わたしたちは”愛”なる魂のはずなのに…

慢性的にめぐるエゴや感情に振り回されていては、幸せの扉を開くひらめきはおりてきませんね。

元旦に「一日完結」そんな気概でいこうっ!て言ったのにな。。(汗)

そんなわけで、

1月も後半突入ですね!今日という1日を大切にしてゆこうと思います。