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2011年9月5日

問題が山積みなときこそ

どんな人にもなんらかの「悩み」「問題」と感じている”コト”ってあるものでしょうね。

そしてその渦中でもがいているときは、問題自体があたかも自分であるかのように一体化してしまうので「冷静になれ」といったところで出来ないものです。そんなときは、自分の目の前に起こっているそれらのことを、一旦、まるで他人事のようにして眺めてみると意外にもコトの本筋は見えてくるように思います。

かくいう私にも、日々の生活の細かなことはさておいて、家族(身内)内での問題をいくつか抱えています。例えば… 長いこと闘病生活をおくっている弟がいたり、初期の認知症の上に血圧や他諸々の病状を抱えて要介助&メディケーション中の母がいたり、今年6月に父が他界、亡くなってから浮上してきた新たな問題もあったり、それらの影響もあるせいか!? なぜなのかいつもお金に困ったり面倒な出来事に遭遇する兄がいたり…こんなふうにさらりと書き連ねてみたけれど、1つ1つに根が深いものもあり、私も家族の一人、なかなかにタフな課題だよな…と思ったりもしています。

今朝、めずらしく兄と長電話をしました。家族に起こっている問題の整理とシェア、当面の対応、優先順位、今後の対応などなど…現実的には1つ1つ対処してゆかなければならないことばかりです。一気にえいっ!とは済まないことですが、なんとかなるしなんとかできるものだともお互い思っています。ただ、兄の話をききながら、だれに愚痴や泣き言を言えるものでもなく「こりゃ精神的にかなりきてるな…」って感じがありました。(吐き出せて少しはスッキリしたみたいだけれど…)

問題に直面しているときって、実は解決のために「どうすればいいか」なんて話より、大変なことを抱え込んでしまった自分自身が、どんどん精神的に追い込まれて沈んでいくのを「どうにかしたい」って方が本当なんじゃないかな…と私は思います。

だって「問題」と認識した時点で、もう自分の中では「どうすべきか」みたいなことは分かっているわけです。ただ、現実がうまく回っていかないのは結果的に問題の根っこが自分自身にあることがほとんどであることには気がつかない。なんらかの問題が外側に発生することで、ようやくそれを知る事になるの図。また、そこに他者(こと身内)が関係する問題となると、感情論が持ち込まれたり、過去の話が持ち出されたり、自分たちの責任は棚に上げて意見(口出し)したり、どうにかして自分を優位に持ち込もうと画策したりされたり、面倒なことを人に押し付けたりと…いつのまにか被害者と加害者の立場になっていたりということも多い。確かに、そんな空気の中にずっといて問題解決だけにフォーカスしていると、しまいには「自分がほんとに悪い」みたいな感じに飲み込まれてしまい、ニュートラルなポジションからどんどん外れてゆき振り回されてしまう。。。

だからこそ、毎日をリセット!心身ともにリフレッシュ!なにも考えず深く深呼吸…(出来るなら瞑想)シンプルながらこれはほんとに大切ですね。

どんな問題にも解決の糸口はあるものです。自分を責めたり、ましてや他者を恨んでもますます泥沼、心が落ちて病むだけです。まずは「腹を括る」括って潔く受け止めるしかない。逃げてもツケは先送りになるだけ、ツケの大半は過去からのものです。リセットして「ゼロ」に戻すのはいましかないです。そして愛なる視点でモノゴトをみないとキレイにはならないでしょうね。(これってまさにホ・オポノポノですね!)

毎日が新しい。そんなふうに自分に誠実に信頼した生き方をする姿勢こそが、解決の糸口を手繰り寄せるのだという気がします。大なり小なり山あり谷ありの繰り返しが日々の生活。ならばどんな中にも幸をみることはできるということ…

それにはやっぱり、心と身が健康で笑顔であることは大前提でありスタート地点。。

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