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2016年8月12日

あると思っていたもの

ある一人の男の50年。

いち早く親元を離れて、独立したいがために一生懸命働いた。
もともと仕事をすることは嫌いではなかったし、何かに打ち込むことは
彼の中の寂しさや、余計なことを考えなくて済むので結構すきだった。
若い彼には、良く分からない使命感のようなものが生きる原動力だった。
それゆえ、日々の仕事や生活に多少イヤなことや辛い事があったとしても
良く分からないが、漠然とした生きる力のようなものに押されて
弱音を吐くことなく、ただただ懸命に働いた。
言葉をかえると、

ただただ、生かされるまま懸命に生きて来た。

月日が経ち、ようやく自立も板につき、
それなりの社会的ステータスも、いくばくかの蓄えも出来た。
ただ、それでも男の内側が満たされることはなかった。
これでもか、これでもか…まるで自身を滅するかのようにも見えた。

あるとき、男に思いもよらないデキゴトが起こった。

なんと、信頼してきたものに裏切られたのだ。
男がこれまで懸命に積み上げて来た社会的ステータスも蓄えも根こそぎ
奪い去るようなデキゴトだった。

男は狼狽した。

懸命に働いて出来た血と汗と涙の結晶ともいえる財産も、
自分の社会的存在の意味も、価値も、全て失うのだと思ったら恐怖だった。
いや、それよりも信頼していたものから裏切られたこと、
そのことがなによりも彼を苦しめ続けた。
そして、時がきた。

男はすべてを失った。

失った?
私は何を失ったのだ?
いや?

何も失ってなどいないじゃないか…

確かに、男のこれまで築いてきたものは無くなった。
ただ、それらを失ってみて、

失うものなどもともと何も無かった…

むしろ
懸命に生きて来た中で、
自分を理解し愛してくれる存在や
気心を許し合える仲間たちや
自分自身の内側が変らず満たされていることに
ようやく気がついたのだ。

ずっとあると思っていた外側のもの…

実は、そんなものははじめから無かったのだ。

という話。。

さあ、きょうがまた新しい。
内在神:それは愛ともいう…愛なる自身に従ってまた懸命に生きたらそれでいいじゃないか。

元気であればなんでもできる!(`∇´ )(←猪木さんの言う通り!!)

きょうもいい気分でね〜♡