2012年2月5日
私と犬にまつわる話…2
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特に幼少期の頃の私は(クウが亡くなったのは私が8歳の時でした)「友達が少ない」子どもでした。
近所には同級生もいたので時々一緒に遊びはするものの、女の子にありがちな毎日一緒にいて仲良しというような付き合いは全くなくて、担任の先生にも友達が少ないことを心配され、通信簿の父兄へのコメント欄に度々書かれていたのを覚えています。
私はどちらかと言うと外向きには活発な子でしたが「ほんとはわたしも」…。内心では”心から仲良くできる友達が欲しい”と切望していたように思います。健気にも子どもなりの努力はしていたなぁ…あの頃…。ですが、結果、一人でいることが多かったように思います。
ある日、近所のお母さんたちが何やらヒソヒソと井戸端会議をしてました。私が歩いて来るのを見つけるなり”ピタッ”と話しを止め、にこやかな作り笑いをして私が通り過ぎてゆくのを見いやると再び話をはじめました。このときの光景は今でも記憶にあり、私に向けられた視線に胸がどきどきするようなぎゅーっと締め付けられる感じがあったのを覚えています。
どうやら我が家の噂話をしていたようでした。
「さっちゃんとは遊んじゃいけないっていわれたもん…」そう友達に言われたことがありました。どれだけグサっと胸に刺さり悲しかったことかしれません。子どもとは正直ゆえにときに残酷なものです…
当時の我が家は家庭内が複雑で、両親は別姓でした。確かに、私(たち兄妹)にとって辛かった話は山とありましたが、ことに狭い田舎社会では、よくも悪くも話には尾ひれがついていて、裏ではあまり良くは見られていなかったようでした。
昨今「いじめ」は社会問題として大きく取りだたされてますが、今から思うと、私も結構ないじめにあっていたんだなぁ…なんて思います。性格的に負けず嫌いだったせいもあり、どんなにいじめられてもそれに屈することはありませんでした。いじめは特に男の子が多かったように思いますが、悪口やヨタ口をたたかれても、私も口では負けてなかったような…。
やられたらやり返す…。
ただ、腕力では負けるので、教室内(勉強です)でやり返す。「どうよ、あんたなんか私に勝てないんだから…」そうやって相手を見下してやることくらいしか、己を守る方法が無かったのだと思います。
そうなると今度は、無視や仲間はずれにされたりとなるのですが、それでも懸命に平気な顔してみせてましたね。そんなふうに一生懸命表面的にツッパってみせているものですから、真の私は:とても傷付きやすくて脆い部分を押え込み一杯一杯だったように思います。安らぎを求めたい家庭内でも両親がけんかしていることが多かったので、幼いながらに孤独感は常に胸の中にありました。
★☆
そんな私にとって、
悔しくて、悲しくて、寂しくて…
人知れず声を押し殺して泣くのは、布団の中とクウの前でした。
クウは私の前に座り「どうしたの?」というように首を傾げ、
涙でぬれた私の顔をなめてくれるのでした。
「今日ね… ○○があってね… 」
クウはいつも私の話し相手でした。
★☆★
大好きで大好きで、大切で大切で、唯一心を開くことのできた親友。
そんな愛おしいクウが…
ある日突然、
別れ目にも会えずして、私の前から去ってしまったのですから…。
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(続く…)