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2012年8月12日

私と犬にまつわる話…完結編

ただ今みなさまはお盆休み真っ最中でしょうかね。我が家では少し早めの休みを取り、自身のワーク&ポーザルームも今日から通常に戻っています♪

今回の帰省では、1年越しでPontaの里帰りも実現できました。(Ponta群馬は前橋生まれ)彼が我が家にやってきてから間もなく1年を迎えます。思えば、ある日突然親犬や兄弟と引き離され、これまで慣れ親しんだ環境から全く違う環境に放り込まれるわけですから、どんなに心細く恐かったことかと想像します。やはり、我が家に来てから2日ほどは早朝に激鳴きしましたし。そんなPontaも今月26日で1歳2ヶ月、今では完全に我が家の家族になりました。

ブリーダーの石田さんと再会の図^^

Ponta嬉しそうです♪^^

比較的人なつこいPonta、いつもなら飛びついているところですが、なぜ?なのかこの日は石田さんの様子を伺っているような感じでした。もっと喜ぶ^^のかな…と思っていたので意外でした。石田さんが言いました。

「こいつは俺のことはちゃんと覚えている。でも、こいつはもう完全にポーザさんちの犬になった…。これも柴犬の特徴です…」と。石田さんは少し寂しそう?にも見えましたが、愛おしそうにPontaを見る目はとても温かでした。柴犬とは飼い主に忠実で主人が絶対的な存在になるのです…とも、続けておっしゃっていました。

私がどうしても犬は柴犬と惹かれる理由、それは、愛らしい容姿はもちろんのこと、主人を「絶対に裏切らない」というところだと思います。それも、ある意味過酷な環境にあった私の幼少期に遡ります。心を許せた唯一の存在が柴犬だったことが大きいと思います。そのことはいまの私に大きな影響を与えていると思っています。

☆☆

私と犬にまつわる話…完結編

「信頼」その裏側に「裏切り」「嘘」「虚栄」「疑心」「欺瞞」がある。そして、その根底には「怒り」「憎しみ」「恨み」「妬み」があり、そのまた裏側には「悲しみ」「恐れ」「絶望」がひそんでいる。人間とはあらゆる”念”を含み居る存在であり、ある意味、欲望が生きる原動力になってもいるから皮肉なものです。このような念も波動でありエネルギーです。

自分という存在は幻想…このようなことをいきなり書くと誤解されそうですが、多くを支配しているのがまさに己:エゴ:であり、生きている以上己:はずっと”ここ”にある。自然界でみる私たち1つ1つの存在とは米粒にもならないミクロな世界だが、全てはいまここに生かされ存在している宇宙エネルギーの一部であり、大小では判断のできない大いなる中に内在する一つです。

しかしながら…人間とは、人間自身が作り出した枠の中で生きていて、本来の大いなる世界があることを忘れている。言い換えれば、顕在意識1割以下の世界でもがき、通常は理解に上がらない潜在意識9割以上の部分と繋がっていること(または繋がること)なく生きている…と言えるかもしれません。

私にとって、幼少期のころを振り返り、楽しい思い出とか嬉しかった昔話を語れるほど、悲しいかな記憶には数えるほどしかありません。この期は特に、否応無しに親や家庭環境の影響を大きく受け育つので幼い子どもにはどうにもならない世界でもあり、辛かったことは無意識に封印されることが多いといいますので、そうだったのかもしれません。

全ては過ぎ去った過去のことですが、誰もが経験体験することではないものを目の当りに育ってきたように思います。

例えばDV。そんな言葉、経験したことのない者にとってみれば、言葉だけが一人歩きをし、そのものが一体なんなのか、そこから波及する影響はいかほどのものかなど分かるわけもないでしょう。ちなみにここでいうDVは、両親間のものが9割で、私たち子どもにはとばっちりとか火の粉か…!? まあ、それでも普通の家庭では考えられない光景だと思いますが、今思うと「生かされた」というのが過言ではないくらいの修羅場も体験しました。

そういう現場を幼い頃から身を以て体験すると、そこをどう生きてゆけばいいのか…知恵がつくのかもしれません。その中で、反骨精神で飛躍するか、打ちのめされて非行に走り自滅するか、二者択一ではありませんけれども、まさに目の前に出された人生ゲームのはじまりだったように思います。

幼くして垣間みた現実は、恐怖も、悲しみも、憎しみも…受け止めるだけで精一杯だったと思います。そんな中で、私が唯一心を開くことができ、人の前では泣けない涙を見せることができた存在、正直に誠実に向き合ってくれたのが飼っていた柴犬だったわけです。その存在の大きさと「信頼」をおける存在というものが、どれだけの慰めと勇気を与えてくれたか知れません。

今思えば、私自身の精神が壊れなかっただけラッキーだったといえるし、それだけの強いエネルギーが私自身に内在していたことの証明だといまでは思います。なによりも、愛なる存在があり:それが例え犬であっても:愛を感じることができたのは救いでもあり幸いでした。

色んな意味で、父は私にとって特別な存在だったのだと思います。そして後に、家族というユニットが私の今世での学びの場となっていることを感じています。そういうことも腑に落ちるまでには時間軸が必要となりました。…生きていることが幻…という意味はそこにあり、過去も未来もない、ただいまここにあるだけ…というのが真実…と肌で感じているわけです…

そんな私も天からどれほどの寿命を授かっていまここを生かされているかは未知数です。

起ることは起きている。それはまさに絶妙なタイミング。辛苦をなめてこそ分かる愛という一面もあり、すべては本来愛でしかないことを引き続き様々なデキゴトを通して学び中なのだと思います。。

愛も苦悩も含め…人間であることをまるごと体験して味わい尽くしてみるのも、ま、いいんじゃないか…と。そんなことを実感した夏休みとなりました。。

自らの罠にはまるのも人^^: 一日いち瞑想、一日一リセット、引き続き。。

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8月度のレイキヒーリング交流会♪
8月25日(土)14:00〜17:00(参加5名さま)残り3名さま
9月 1日(土)14:00〜17:00(参加5名さま) 満員御礼!お申込ありがとうございました♡
*スペースの問題で少人数で集ってます^^: 定員になり次第締切らせていただきます*
場所:ポーザルーム(初めての方には後ほど所在地マップをお送りします)
会費:1000縁〜♪

初めての方お申込<こちら>からどうぞ。