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2011年8月20日

愛を学ぶ

我が仔Pontaの話題が続いちゃってるわけですが…^^:家族ということについて改めて考えてみる。

今年6月に父が他界しました。昨年の7月31日に脳出血を起因に倒れ、その日から闘病生活がはじまりその努力も空しく1年を待たずに逝ってしまいました。今だから言えることでもありますが、当時、医師の診断では、肝臓をはじめほとんどといっていい内臓が”ボロボロ”な状態だと説明されました。その結果、体内の毒素や血管の詰まり(特に脳血管)による脳膜炎や脳出血の恐れ、加えて心臓への負担も相当なもので、「正直、現状からは回復の目処がたたない状態で…まだお若いのであとはお父様の生命力だと思います…」と、はっきり告げられました。倒れた時は右脳側で出血を起こしたため、すでに左半身はマヒと宣告されました。また、視力も言語もどこまで回復できるかわからない状態でした。

入院から一週間ほどしてからはじめての見舞いに行った時、父は見るも痛々しい数々のチューブに繋がれ、会話はおろかこちらが話すことをどこまで理解しているのかさえ分かりませんでした。「ああ…もうほんとにダメなのか…?」父の手をとり、込み上げてくる涙を堪えながら、何度も声をかけ話かけをするも、口もきけずじっと上を見ている父を見つめていました。口もきけずに横たわっている父でしたが、彼の目にはまだ力があると感じました。「オレはまだ生きなくちゃいけない…」そんな声なき思いが、父の目からしっかりと伝わってきたのです。「…きっと大丈夫」

しばらくして、そんな父が医師も驚くほどの回復をみせはじめます。人の話を理解出来るようになり、会話ができるようになり、最後には文字(日記)を書くまでになったのです。リハビリも、ベッドから起き上がる–横になる-の簡単なものからはじまり、たった1、2ヶ月のうちに介助されながら車いすに座る-降りる、ポールのつたい歩きをする…までのリハビリをこなすようになりました。介護士さんは、父はとても積極的にリハビリをしているので、ぜひ一度様子をみてあげてくださいと連れて行ってくださいました。介助の手を借りながら、父は半身の効かない身体をうまくバランスとり懸命に頑張っていました。その姿に言葉にならないもので胸が熱くなりました。面子を重んじプライドの高かった父です。自分の身体がこんなにも不自由になるみじめさを思い知ったでしょうし、こんなことには負けまいと心の底から思ったことと思います。ましてや娘が見ている前です。泣き言なんてと思ったでしょうし「オレは大丈夫だ」という姿を見せたかったに違いないです。

この8月に四十九日と新盆行事が終わりました。不思議なものです。時間があったのか無かったのか…”あの日”から、私はすでに”いまここ”にいます…

私には、父とは語り尽くせないある種の因縁を昇華させてきたんだろうな…という思いがあります。
起っている事にはすべて意味がある…いえ、事は起るべくして起っていて、そこに意味を見いだせるのは自分でしかない。私は思っています。少なくとも、私と父、私と家族に起きていることのすべては愛にもとづくものである…と。光と影、その両面を見てこそ分かるものがあり、それはどちらにもなり得るものであるということを学ぶのだと。

私が見いだしたもの、それは自分自身が愛であり、一人一人がまた愛であるということ。こういう学びは、きっと特別な絆や縁を持って繋がった家族だからこそなのかもしれない…とも思っています。

やっぱり…今日が健康であり笑顔で過ごせる自分であること。家族が健康で笑顔であること。私はそれで充分幸せ。。。


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