2014年6月1日
刷り込まれたもののパワー
その概念はいつから自分の中に存在したものなのか!
世の中見渡せば「概念」だらけです。よくも悪くもあらゆる概念でなりたっているのが世の中(社会)といえるかもしれません。私たちは育ってゆく中で、様々なことを教えられ、学び、生きるという実践:体験や経験を通して:オトナになってゆきます。(ましたっ!^^:)
あれはいけない、これはいけない、これは◯◯というものだ、あれは▽△というものだ、こうするのが常識だ、ああするのは非常識だ…などなど、いつの間にかたくさん&様々な概念が心身に刷り込まれていゆきます。そして、あるとき感じるわけです。
「苦しい」とか「生きにくい」とか…
私は〇〇じゃないからダメなんだ…私は▽△に反しているからおかしいんだ…
概念によっては、人によって向き合う現象(生きるという実践、これを人生ともいう…)が違うので、すべてに平等にしかも「正しい」ものではなくなります。そう考えると、概念とは大切なものであり、ときにとても厄介なものでもあります。
刷り込まれたものが無意識のうちに支配するマインドコントロールの威力はすごい!と感じる今日この頃です。この手の刷り込まれた概念に対し、冷静になって「気づき−学び−手放す」−の課程を実践する大いなる学びとは、自分と一番強いご縁を繋いでいる者たちの中で繰り広げられることが多いんだなぁ…というのも1つの気づきでした。(for Me!!)
親だからこうすべき、子どもだからこうあるべき、家族とはこうあるもの…など、対象が肉親であったり、自分とご縁が深い間柄であればあるほど、こういった一見「素晴しいあり方」「美しい絆」の理想-像に翻弄されてしまうものかもしれません。人の心や情の特長をよく捉えたワナ(支配)にならないようにしたいものです。
概念を生むのは人。すべての人に等しく平等にあるものは普遍意識でありいわゆる愛でしかない。
苦しい自分があるのを感じたときは、立ち止まり、自分自身のいまのあり方(生き方)を見つめ直すときなのでしょう。愛にそぐわないものは一つずつ手放してゆく潔さ…。霊性を高めてゆけるのは、きっとそういう苦痛との背中合わせの中にあるものかもしれません…愛を見いだすのに一番タフだけれど、確実なチャンスです。こうした「実感」とは、自らが体験を通してしか感じられない貴重な学びであり、生きていることの証し。なのだ…としみじみと思う今日この頃2。。。
「いいじゃん!そんなわたしでもっ」って、自分に言ってあげられるのも自分だけです。
肩の荷を背負うのも降ろすのも自分次第…すべては自己責任のスタンスです。肚をすえてもっと本音の自分で生きていこうよっ♪^^
と…そんなことを思った週末でした。。
ああ〜6月。みなさま^^また元気にまいりましょーっ♪
そのままのきみがパーフェクト♡ありの〜♫ままの〜♫^^