2015年1月11日
三つ子の魂百まで…
三つ子の魂百まで_ということわざがあります。3歳までに受けた躾や教育で形成された人の性格はその後もずっと変わらない_といった内容で集約されますが、本当に、幼少期に受けたものは良くも悪くも大人になってまで大きな影響を及ぼすというのを感じます。
今の時代にはじまったことではないですが、最近では幼児虐待のニュースであったり、親子関係で起こる問題や事件であったり中には深刻なものも珍しくありません。
自分自身のことを振り返ってみると、いまだに過去に受けた親からの(生き方含)影響や、そこでしみついてしまった概念や観念、最悪は幼心に知らず知らずに負ってしまった傷やトラウマからくる支配の大きさに驚きます。
終わったことなのに…
手放したことなのに…
赦したはずなのに…
もう、大丈夫だと思ったのに…
現世で積み上げてきてしまったカルマの多さにも驚きます。カルマはまたカルマの中で生まれる…そう考えると、魂が旅をしてきただけ引き継がれているものもあるだろうと思います。だとすると、その手の種は一つ一つ丁寧にいまここで解放してゆくしかないのだろうなと感じている今日この頃です。
ここ数日、またも見るんです…悪夢を。。uu
夢の内容は、私の幼少期の頃に端を発しています。
夢をみながらにそこにある「感覚」がとても鮮明で、正直、とてもイヤな感情だったり責任感に押しつぶされそうになっていたり、そこから逃げたいのに支配に繋がれて身動きが取れない”自分”がそこにいたりするのです。
とても心地悪くて@はっ!とそこで目が覚める夜中の3時。もちろん、そこからはしばらくは眠りに入れません。はぁ…。どうせ眠れないんだからとそのままベッドに座って瞑想をしました。
あぁ…まだ終わってなかったんだ
そうか…まだ傷はきちんと癒えていなかったんだ
どうあれ、そういう自分がまだあったということををしっかり受け止めることが大切_という感覚が降りてきました。
そこに戻って自分と対象(ここでは母です)に善悪も、だからどうだったんだ…などという思いもジャッジもしない。責めたり悔やんだり恨んだりましてや自分自身に罪悪感をもったりもしない。ただあるがままに眺め、
ああ、そのときの私は辛かったんだね…
ああ、そのときの母はそれが精一杯だったんだね…
そこに”わたし”はもう振り回されません
以上!
最後にそうアファーメーションしました。
それにしても…恐ろしいと思いました。今年で私もアラフィフ王道をゆくというのに、未だに癒えない思いと母なる存在の強い支配に罪悪感すら感じている私があるのですね…すべては幻であるはずなのに。
しかしながら、母もまた我らが祖先から受け継いできたカルマがあっての存在なのでしょう…そんなふうに思っています。
母さんごめん。距離をおくしかなかったわたしをゆるしてください。わたしは昔もいまも何一つ変ることなくあなたを愛しています。それは唯一の真実です。
みなどんなに辛かった時代でも生き抜いて、こうしてわたしにいのちを繋いできてくださったのです。本来すべてが愛なる存在…それに気づいたものからすべてに繋がるご縁ある魂に代わりいまここでカルマを落とし愛の波動で満たしてゆく…
きっとそれこそがすべてのひとの深層にある生きる目的なのかもしれません。
親子関係(または人間関係)で悩んでいる人は本当に多いと思います。私もその一人です(でした)。人生も中年期に入り、ようやくそこには何かしらのメッセージがあり、それぞれに必要な気づきがあるように思うようになりました。
多くのみなさまに愛の扉が開かれますように…
💗
数日前からある事が発端でuu まじで胸がざわざわしていました。。きょうは田無神社行って来ましたよ!^^昨年1年を守って頂いたお札を納めに行って来ました。精気のある場所はいいですね。気持ちを洗って頂けたおかげで^^ブログに書き記しておく気持ちになりました。やっぱり…
田無神社の「子育て犬」神様です…Pontaの気管支炎がことなく治るようお祈りしました…
💗
一日いち瞑想 一日一リセット ですね!