2012年9月11日
ちょっとしたことが…
ちょっとしたことが、ポッと💗に灯をともす…
ちょっとしたことが、今日のスタートを気持ちよいものにしてくれる…
今日1日の電話(母へ)は、いまではそんなものに変っている…
昨年父が他界してからというもの1〜2日おきに母へ電話をします。母は初期の認知症に加え持病もあり、同年代の健常者のように余裕しゃくしゃくとは歩けません。平坦な道だけ杖を使ってゆっくり歩行するといった感じです。今のところ日常の生活はゆっくりマイペースではありますが支障無くこなしていますが。。ある意味「自分のことは自分でする」はリハビリにもなると言って本人も頑張っていますが、そんな状況ですので、週2で訪問介護を受けています。お薬を届けて頂いたり、通院する病院まで送って頂いたり、ときどき公営の健康ランドに連れて行っていただいたり…etc。遠からぬところに兄家族が住まっておりますが今は事情があって一人で暮らしています。
母自身、晩年になってからこんなふうに身体が弱くなるとは思ってなかったことでしょう。ましてや父に先立たれ、一人で暮らすことになるとは思ってもみなかったのではないだろうか…
普段一人でいることを寂しいと口に出しては言わない気丈な人ですが、ときどきとてもネガティブな発言をしたりしてこちらの方が凹みます。本人にも感情のコントロールができなくなるときがあるのだろうと察しています。それも認知症の症状の1つでもあると言います。出来るだけ進行を早めないようにするのには「孤立させない」「病人扱いしない」こと…と思っています。毎日の電話(会話)は、正直安否の確認でもあり、口の減らない娘の叱咤激励で自分が’だれ’なのかを忘れないように…と思ってしています。’だれ’とは、母本人であることの他に、母親であること、女であること、周囲の人にお世話を頂けていること、まだまだ70前の人であること…etc,その思いは深いです。認知症(に限らず)対病人への接し方って、ときにとても難しいことを感じます。その人は、たまたま病を抱えているだけであり一人の人であることに何ら変わりはないのです。ただ、その人じゃないようなことを発言したり、行動を起こしたり、急に体調を崩したり…思わず目の前の罠に陥り、逆に心にもないことを言ってしまったり、立派な大人を前に子ども扱いしてしまったり…こちらの方が振り回されていたり。。相手が肉親であればなおのこと、様々な思いや感情が湧き出してくるのでよほどの覚悟:愛:がないと一緒には向き合えません。
だれもがみんな、いつかお迎えのときがきます。
人生には、いまは思いもしないこともきっとたくさんあることと思います。
ただ、私たちはいまにしか生きられません。
いまできること。
目の前にあるものに向き合って、精一杯自身を尽くすこと。
あ…私の唯一の我がままは^^すでに決まっているのだ!それ…ダンナにはリクエスト済み…(笑)
今日あるちょっとしたことに喜びを見いだして〜♡今週も笑顔でまいりましょっ♪^^