2009年11月1日
弟よ、会いたいと思うときに…
私は3人兄弟の真ん中です。上に2歳違いの兄、下に15歳年の離れた弟
がいます。弟とは15も年が離れているので、正直言って、姉弟という感
覚よりは、私の中ではいつまでも”ちっちゃくてかわいい”特別な存在です。
兄と私は、弟が物心の付く頃にはもう家を出てしまっていたので、弟と会
えるのは、年に1度もあるかないか、彼は実質一人っ子のような育ち方を
しました。会うごとに大きくなっていく弟、一緒に暮らした頃のかわいく
てやんちゃな赤ん坊も、いつの間にか年頃になり生意気に一人前の口も叩
くようになり”まだ半人前のくせに偉そうなこと言って!”と思う頃もあり
ました。1人っ子同然に育った弟は、近くで自分と関わる者のほとんどが
”大人”たちでした。その頃の実家は、常に多くの人が出入りする環境にあ
りました。小さな弟は、客人にとってのアイドルです。どんなに悪さをし
ても、親以外の大人は誰も叱らないし、泣けばあやされ、欲しいものは誰
かが与えるといった環境。弟のことを一つ不憫だと思うとすれば…よくも
悪くもそこに関わっていた大人たちの”概念”が彼に植え付けられてゆく環
境が強くあったこと…過保護によりかなりの”甘ちゃん”で育っていくこと
になってしまったこと…。
そんな彼が、幼稚園ー小学校ー中学校、そして高校と、いよいよ外の世界
:社会:の中で生きるようになった時、これまで自分が体験してきたこと
と”違う”ことや、世間にはさまざまなルールや規正や概念:枠というものが
存在しているということ…善/悪、信頼/裏切、愛/恐怖、脅威、暴力、理
不尽…それらを必然的に知るようになり、ときに小さな弟にとって過酷な経
験としてもたらされたもの:いじめ:迫害:差別:そんなこともあったよう
です。もともと神経過敏気味で気の小さい弟、外で表現出来ない怒りや不満
のすべての矛先は”家族”であり、果てには”自分自身”への自己否定という形
で向けられてゆきました。
そんなある日…弟はついに”壊れて”しまいました。発病21歳の時でした。
今から8年前です。その後、彼は精神科に入退院を繰り返すことになった
のです。初めての入院の時、彼を見舞いに行ってその姿を見た瞬間、私は
自身が崩れそうになりました。投与薬はとても強いもので、その副作用に
より首や肩、半身の筋肉が引きつり、そのせいで口もろれつが回らなく、
私の目の前にたっている弟は、もう私の知っている弟ではなくなっていた
のでした。。心の病とは、人間をこんなにいとも容易く一瞬にして壊して
しまうものなのか…!と。強烈なショックでした。。。
そんな弟ですが、今では病院から一歩進んで、専門の施設で社会復帰を目
指してリハビリ生活をするまでに回復しました。
彼が壊れてしまう直前、私に宛てた『手紙』があります。
それは、今では私の大切な宝物となりました。当時、書かれている内容に
”不信”を感じることはありませんでした。いえ、感じられなかった…とい
うのが正解です。
しかし…今また改めて、その手紙の一字一句を見つめ、心から丁寧に読み
返してみると、そこには彼の痛切な”叫び”があったのです。
彼は、当時崩壊していた私たち家族の絆を取り戻したかったに違いない…
その頃の私には、隠されたメッセージを読み取ることも、彼の中にある心
の闇を知ることもできませんでした。
私が精神性により深く目覚め、改めて、愛と調和のある人生を生きようと
決意したきっかけも、弟が身を以て見せてくれた体験…そして、そこに見
える意味と、愛あるメッセージを与えてくれたこと…それがとても大きい。
今になって『わかる』ことがある。
それは絶妙な『タイミング』でやってくる。
『氣づき』とはすべてはそういうものなのかもしれない。
思えば、かれこれ3年近く弟に会えていない。目と目を合わして…身体に
触れて…ちゃんと顔見て話がしたい…最近何だかとても強くそう思う。
みんな、繋がっているからね… だとすれば、きっと弟も、
”会いたいな”…と思ってくれているのだと。。
会いたいと思うとき、その人も”何か”を思っている。
せめて会えるそのときまで、私はずっとあたたかな波動を送り続けよう。
胸にあたたかなものを感じたら…”なにか”を波動にのせて知らせて欲しい。
そう感じ合えたら幸せです。