2011年6月29日
尊き魂へ
長いことブログが空きました。その分?今回は長くなるかしら。そしてとても私的なブログになろうかと思いますがここにしたため残しておきたいと思います。。
実は… 6月23日父が逝きました。実家から訃報が入り早々に身支度を整え翌々早朝に帰郷…ことのすべてを済ませ昨日東京に戻りました。そして本日は初七日、今朝は母と兄家族とで初七日法要をしていよいよ本当にお見送りです。私はここ(東京)から祈りを届けることにしました。
先月末の見舞いが、父と会える最後になるだろうと直感していたので、23の晩に電話が鳴ったとき、すぐにそれだとわかりました。時間の問題だとは告げられていたので覚悟はしているつもりでした。ええ、つもりでしかなかったこともその時に思い知りました。私の中からは、ショックとか悲しみとか喪失感とは別の感情が湧き出しました。それはもう父と家族に関わるこれまでの私の人生すべてのことに対する『おもい』というしか表現できないものです。この『おもい』とは、私がということではなく、おそらく世の中に一つとして同じものは無いものだろうと思います。
動物的感覚の強い私です。父が逝くときには、きっとなにかを感じるだろうな…と思っていました。でも、実際父は夢に出てはくれなかったし、目に映るものもありませんでした。ただ、前日に1つメッセージがありました。水をこぼした訳でもないテーブルクロスが濡れている…よくみると、花を飾っていたグラスが原型を保ったまま真っ二つに割れていたのです。あ…このときすぐに父だと思いました。そして当日に1つ。訃報を受け取る少し前でした。1階で食事の支度をしているとき、2階で主人が誰かと楽しそうに会話をしている声が聞こえていました。(誰かとスカイプしてるんだな…)
「さっき誰とスカイプしていたの?」主人は、だれとも話していないしDVDも見てないしひたすらデスクワークをしていた…というのです。私には確かに誰かと話してたように聞こえたのです。それはちょうど父が逝った時間の直前のことでした。。。
それもこれも偶然だと言えばそうかもしれないし、お告げだと思えばそうかもしれません。そのことの是非はどっちでもいい。ただ、私はそれは父からの最期のメッセージだと感じています。
☆
そして…
実家に戻って父の亡骸に会いました。ほんとうに眠っているじゃないかってくらいに穏やかな顔でした。亡くなった人のことを仏様というのはこういうことなんだな…と分かったような気がしました。
通夜から納棺、灰寄まで体験したのは初めてでした。おくりびとは映画の世界でしか知りません。こんなにも厳かに静かなる美しい時間が流れてゆくのを私はそこでからだごとで感じていました。故人に対する思いはもとより、そこに立ち会い父を見送ってくださったすべての人に心から感謝の気持ちで一杯になり、ずっとこらえていた涙が堰を切ったように自然に流れ出しました。
父の過去を振り返れば、不遇な生立ちや残酷な環境、みずからが蒔いた不幸せな花ばかり…とても幸せとはほど遠い生き方をした人でした。晩年になり、ようやく自分の弱さを認め自尊心や拗ねた心により招いた不調和な生き方を変え、自他ともに調和することに専心し人並みの幸せや身の回りにある小さな幸を知り、人に感謝することや真に人から感謝されることを味わい、ようやく穏やかな人生のフェーズに入ったところだったのに…
そんなことを思いながら、葬儀のあいだ中私は父の人生と自分の人生とを重ね合わせていました。
生まれ落ちた時代、場所、育つ環境は異なれど、私は父を通して同じ過ちを犯しそうになっていたのかもしれない…と。
私には父を嫌い恨み憎んだときがありました。どうして、どうして、どうして… 私はその苦しみから逃れようにも逃れられない…これが因果応報というものなのか…
思えば、父を通して父と同じような道を歩いている自分がそこにいたことに気がついた… すべては私自身の魂の修行だったのだと思います。
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なんて 人とは愚かしいものなのだろう
なんて 人とは罪深きものなのだろう
ただ
人とはその中で魂の学びをし 氣づきをいただき
また 大いなる愛へと戻ってゆく
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魂は 永遠
なれば 幾重にも人生をおくる繰り返しの中で
魂なるものを磨く旅も また永遠 か
ここで 恨みの種は 作るなかれ
ここで 憎しみの種は 作るなかれ
ここで あわれみの種は 作れど決して蒔くことなかれ
すべては いずれ自分自身で刈ることになる
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なれば 小さき幸せの種を いくつも作り
庭いっぱいに咲き乱れるさまをみて いつも笑顔でありたいと
本当はみな そんな人生を送るようにできている のに
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父の顔は穏やかでした。それは最期に小さき幸せを感じて持って逝ってくれたのだと信じたい。私の中にもいまはただ愛なる思いしかありません。いつの世かまた父の魂と出会うならば、今度はきっと今世よりもずっと笑顔でいられる人生だと思います。
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最愛なる父の御魂へ どうか安らかに… 合掌