2012年3月9日
命をいただいた日
なーんて、表題にしましたが^^: 私ごとですが、3/8は私の誕生日でした。肉体年齢は加算されましたが、自称33モードは変らずにこれからも参りたいと思います〜♪(笑) とさて、
毎日が誰かの誕生日。この世界を「生きる」ために肉体をいただきその命の灯がともる日。
40も半ば過ぎになると、お誕生日を楽しく♪お祝いする^^ってムードではなくなりますが、でも、やっぱり、いくつになってもお祝いはした方がいいなと思います。若い頃はともかく、中年もそこそこなれば自分の誕生日には「親」特に「母」に対して感謝を贈るものでありたいです。親子の関係、もしくは家族の関係とは、1つとして同じものはありません。この世で学ぶ最も重要かつ、必要な要素を含んでいる生のステージであると思っています…(と、この辺の話は長くなるのでまた別の機会にでも^^)
私にとってみても、生い立ちやこれまでの親子関係を通して今があり、素直に本心を表現出来ないもどかしさや、テレがあったり、ついつい言いたくもないことを言ってしまったりの今日なんです。。(いやぁ…人間的にまだまだですわ:)ですが、今年の誕生日には母に「ありがとう」と感謝を素直に表したくて、ささやかだけれど荷作りをして着日を合わせて気持ちをおくることにしました。
「荷物届いたよ。いつもありがとね。母さん嬉しかった…」と早速母から電話がありました。
「お前の誕生日だというのに、母さんこんなでなんにもできなくて…」母は決まってこう言います。本音で言えばこのフレーズは聞きたくないんです。実は、母は初期の認知症の上に身体全体が弱くなっており、いわゆる健常者とは言い難い状態です。私こそ、そんな母に出来ることといえば、電話をしたり何かを贈ったり、そんなとっても小さなことだけ…。
また、母の話は後ろ向きな話も多くなりがちなのですごく気持ちが凹みます。母の話を聞いてあげるのも思いやりと分かりつつ、やっぱり愚痴っぽい話は聞きたくないし、実際、それで波動が下がるのは否めません…
歳なりの順番で行けば、母も遠い未来でない先に父の元へゆく。もちろん、いずれ私も。。
そう考えるとこの世を堪能するのも親子をするのも「生きているうち」…そんなことを思うと泣けて来る。
愛を表現するのを躊躇っちゃいけないなって。
何も纏わないむき出しの自分:Soul:愛であれたならいいのにな…
愛する人に愛を伝える。愛する人を大切にする。
まずは、そんなことから素直にはじめてみようと、中年にして実感する誕生日。。。
毎週木曜はダンナの遅い帰宅日なので、これというお祝い事なく平常通り。ただ…メッセージは今年もいただきました♪読むほどに泣けてきました。幸せだなぁ…ありがとう。