2013年7月18日
よくやってきたね…(u u)
「よくやってきたね…」
昨日の阿部さんのブログを読み「あぁ…いつものことながらほんとにタイムリーだわ」と、智子さんの一言に気づきをいただきました。子育て中(もしくは子育てをしてきた)母親に対して、こう、ひとこと言ってげて欲しかった!という言葉として書かれていました。よくやってきたね…たったひと言、とてもシンプルな言葉です。でも、この一言の中には、そこにいる人々の生活や計り知れない多くのことを含み入り想像させます。きっと子育てに限らず、誰もがどこかで「あのときは大変だった」「しんどかった」「辛かった」「苦しんだ」…などの経験を味わったからこそ、自他ともにかけて欲しい言葉になるのかもしれません。
「そうなんだよ…」
前回のブログに書いた、私と母(親子:母娘:関係)に関する中で、どうしても拭えない「罪悪感」や「居心地の悪さ」っていうのも、そこから来ているのだと改めて思いました。子供はもともと純粋な存在です。目の前の親を理屈なく愛するし、また愛を求めます。親もまた同じことでしょう。_私、まだ人(子)の親をしたことがないので想像の域を出ませんが_犬ではあるけれど、Pontaと向き合う中で、同じような経験をさせてもらっているのを感じてます_
母と私。母の不出来な部分やイヤな部分だけじゃなく、私とのこれまでの人生の中には言い尽くせないたくさんの愛もあった。あえて過去を振り返れば、色んな事があった家族だったから、仮に7:3でダメな母親だとしても(例えです)そのときどきを精一杯!どんな手段であろうとも!「生きる」を前提にしてきたことは確かな人です。あの強烈な父に振り回されてどんだけひどい環境におかれても、どうあれ、なんとか、「生きて」きた人…。本当はとても芯の強い人だと尊敬する部分もあるのです。女同士、まさにいつしか「同士」のような気持ちに私はなっていたのかもしれません。だからこそ、イヤな部分をみるたびに裏切られた感に(勝手に)苦しむことになってしまう(った)のかもしれません。
「まあ、もう、それもいい加減、いいわ、手放すことにする…」
「よくやってきたね…」とは、きっと私自身も、どこかでそう言ってもらいたかったのかもしれません。けれども、どうあれ、親(母)子(娘)として縁あって今世を存在しあっているのだもの、生きているうちにしかできない体験をしてゆきたいと思う。できることなら、幸せな生き方をベースにして。いつからだって、そうすることはできるわけだから。。
大切な人に…(u_u)
これまでほんとうに「よくやってきたね」と、愛ある魔法の言葉をかけてあげる1日であれたらいいね♪
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きょうもまた〜♪ 一日いち瞑想 一日一リセット