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2012年10月23日

それは執着なのか忍耐なのか…

一つの物事を辛抱強く「続ける」ということは、そうそう簡単ではありません。

例えば仕事としてみよう。それが生計を立てている仕事だとしたら…仕事がとても辛いと思うとき、みなどうやってやり過ごしているでしょう。一時のしんどさや一時のハードワークであればいいでしょうが、もしも毎日そこに苦痛や退屈を伴おうものならば、ストレスに身をさらされやがては身体がときに心が病むことになるでしょう。

やっていることが…好きじゃないとなると、そこに続ける理由や続けなければならない理由をうまく見つけてやり過ごすしかない…かもしれません。

だって…仕方ない

そんなフレーズ、これまでの人生で何度となく「使って」きたのではないだろうか。何がだって?なのか、仕方がないのはどういう理由で?…そんなふうにして折り合いをつけながら生きているのが、いわゆる現実と言われる世界なのかもしれない。(なにを隠そうそこにある現実は自分自身の作ったもであり投影ですからね…)

でも…ちょっと立ち止まって感じてみる

思考ではなくハートで

心や身体を崩壊させるまですることってなんだろう…

そこまでになる「仕方ない」理由ってなんだろう…

やりたいことや納得して喜びを感じての結果なら、本来身体も心も壊れたりしないんじゃないだろうか。

そこにあるのは執着なのか忍耐なのか

よくよく素直になって自分にも他者にも正直になって、自分の中心(ハート)のうずき:波動を感じてみれば、自ずと閃きがおりてくるんじゃなかろうか…

何に恐れ、何に執着しているのか…まさしくそこがみそなのだと

ただ一つ誤解なきように加えておきたいのは、目の前で向き合っていることがイヤだからと、怠惰に流されろとか、安易にそれを放棄したり逃げたりすることを進めているわけでは決してない。むしろ忍耐は人を成長させるパワーを持っているもの…

ただ、苦痛は外側にあるのではなく自身の中から放出されている投影に過ぎないということ

私の中にもそんな種(カルマ)が数知れずあるように思う。大なり小なりみんなそうなんだと思う。

けれども…気づきも解放もそれば自分にしかできないことなので他者とは比較できることではない

「苦しみよありがとう」「怠惰よありがとう」「憎しみよありがとう」

いつの日か…

「ああ…そうだったのか…すべてにありがとう」

と、思う日がくるのではないか。それでいいのじゃないか。気づきの時は人それぞれにすごいタイミングで訪れるということを、ただ信頼するだけでいいのではないか。

なんにもムダなことなんてないんだな…と思い感謝できる日も、やっぱりいまここでしかないのだと

そんなことを思った今日の瞑想

一日一リセット 一日いち瞑想

💗💗💗

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