2015年8月1日
あるがままをみる
昨日は、瞑想仲間の「菅ちゃん」^^主宰による、月一開催in東京の「視点が変わる瞑想会」なる講座に参加してきました。(どんな方?かはリンクでみてね)彼と出会ってまだ数ヶ月ですけれど、何度かお会いして話す中で、またも私の直感にさわってきたお一人でした。同じ匂いがするというか…(笑)
瞑想することはどうしていいの?
単純な疑問を持たれる方、きっと多いと思います。ちなみに、私にとっての瞑想はいまや自他とものクリアリングでありヒーリンです。理屈じゃありません。何かを期待してするというものではなく実践する中で実感していることなので、お勧めしています。もちろん、私と同様なことがすべて一律に感覚として落ちるわけではないとも思いますし”私”というフィルターを通してのいち現象でもあるので、これを他者に言語を通してお伝えするのにも限界がある…と思っています。
まあ、理屈はひとまずおいといて、まず実践(継続)してみることです。そして、その中で自分にとって必要なものを見つけ出したらいいと思います。
おそらく、ヒーリングの世界やいわゆるスピの世界や瞑想などに辿り着いたきっかけは「人生が思うようにいっていない」と感じたときだったり苦難にあるときだったり何かに「救済」を期待したいときではないか?と思います。もちろんすべてではないですけど…
コトがスムーズに流れているときには何も思わないものです。ただ、一方でうまくいっているのに「これでいいのだろうか!」とか「きっとこの先なにかあるに違いない!」みたいな漠然とした恐れを抱く人もありますよね。なぜでしょう?うまくいっているのにです(笑)_いいことのあとには悪いことがある_的概念がしみついているせいでしょうね。まあ実際、世の常は諸行無常ですから、すべては変化してゆきますので、変化に逆らって生きることはむしろ不可能です。
それゆえ、人は安心立命を求めるいわば本能的な欲求が根底にあるのだと思います。
昨日の視点の変る瞑想会で「だまし絵」からみる人の現象の捉え方のようなワークがありました。これは面白かった!まさに発想の転換 です。同じ絵(現象)を見ているのですが、見る人、見ている状況、どう見ているかで見え方が違うという事実を知るのに役立ちました。
絵をず〜〜〜っと見ていて、なにがあるのか?とあれこれ考えても見えない。ただ、ある瞬間にその中にかくされているもう1つの対象物がふぅ〜と見えるのです。これは思考を超えたところで起きる瞬間の変化です。そう、これがシフトであり、
あるがままをただあるがままに見る、ということに他なりません。
これは私たちが自身の人生を生きる上で、特に、起こった出来事が厄介なものだったりピンチなときだったり、迷走しているときだったりの自身のあり方に役に立ちます。
ピンチがチャンス!_実際、渦中にあるときは必死ですけど^^: そう思えるかで人生が変るということなんだよね。そういう意味で、大いに迷えばいいし、そこで思うことを片っ端からやってみればいいし、やるならなりきってやる。ということだけなんだよね。そして、やっぱりここに辿り着くわけです…
Doing Samadhi , Being Samadhi….禅スピリットで生きてゆきたいものです。
さあ、この絵からなにをみる?^^