2011年7月13日
あたり前にあると思うな…
いつまでもあると思うな親と金…ではなくってっ。。。^^::
このようなことは、子供の頃によく親から言われた気がします。特に食事のとき「ごはん1粒も残さず食べなさい。お百姓さんが汗水垂らして作ったお米なんだ。ありがたいと思いなさい…中略…父さんたちが子供の頃は戦後で貧しい時代だったから白飯なんて食えなかったんだ。ごはんが食べられるだけでも幸せだと思いなさい…」的なことをずいぶんと言われたのを思い出します。子どもながらに「そうなんだ」と素直に思ったと同時に(これに限らず何度もクドクド恩着せがましくいうのは父の癖…そのせいかどうか分かりませんが)当時は食事への感謝というよりむしろ”食べれることに罪悪感”さえ感じたことを思い出します。(ほんに子どもとは純真無垢の真っ白な存在だなと…ゆえに過保護も過剰も無頓着もイケません…要注意っですね)
どうあれ、茶碗には1粒もご飯を残さずに食べるのはごくあたり前の習慣になっています。子どもの時には1粒も残さず食べることが「感謝」を表すと実感していたわけではなかったと思いますが、こうして大人も早っ中年になってみますと^^:口うるさ過ぎるくらいの父ではありましたが形から入ること:躾け:てもらったことに感謝しています。
311…あれから4ヶ月が経ちました。未曾有の惨事を体験し(被災地に暮らさない私たちはあくまでも間接的でしかありませんが…)一体、私たちのなにが変わったというのだろう…と、ふと思い再度自身を見直している今日この頃です。
悲しみも苦しみも痛みもときの流れとともに少しずつ薄れてゆきます。忘却とはある種幸せへのギフトであると思う一方、ともすれば感謝する心すら薄れてゆきかねないのが人かもしれません。だからこそあらためて、
「あたり前にあると思うな…」と。
「…」にはたくさんのことがあてはまりますね。いま、あなた:わたし:がどんな暮らしを味わっているかわかりませんが、天国だろうとどん底だろうと、私たちの回りには常に「ありがたい」と思えることがたくさんあります。汗だくになっても浴びれるシャワー(水)に、節電とはいえ暑ければ入れられるクーラー(電気)に。etc…etc…
ひと粒の米。そこに内包するは米のみにあらず…。しみじみ。。
ふだんは思わないことをあらためて感じてみる今日1日に、幸せの氣づきがたくさんありますように♪