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2012年5月18日

「ありがとう」をどれだけ言えるか…

昨日の夜、たしか、TBS系でなんちゃら駆け込み寺?(TVはあまり見ないので番組名すら覚えようとしない私…^^:)という番組で、和尚さま数名に芸能人がお悩みを打ち明けてありがたいお言葉を頂く…的企画番組を途中からみました。

ちょうど、女優の遠野なぎ子さんの人生相談の時でした。(彼女は幼少期から母親との関わりの中に色んな思いを経験体験してきたようでした…)肉親であるゆえの憎しみなる思い…かいつまんで聞いているだけですが、彼女の切実な母への思い:母に対する求愛そして愛情不足、そこに生まれた彼女にしか分からない感情やドロドロとしたもの確執…これは「本人」にしか分からないものですが、でも、なんだか、その切実でかつ苦しい思いは分かる気がしました。。

和尚さまたちが、アドバイスといいますか、彼女に対する救いの言葉を差し伸べるも、目から鱗…ぐっつと自身の胃袋つかまれるようなものはなかったようにみえました。

憎しみという感情…きっと彼女も持ちたくなどないだろうと思います。きっと誰もが。だからこそ苦悩に悶え苦しんでいる。それこそが人である苦悩なのではないか…。そんなふうに思ってみていました。その中で…

おねえ系和尚で有名な「水無昭然」さんが仰っていた言葉に、わたしの心にもぐーんと響いてきました。

「これからさき、死ぬまでにどれだけの人に、どれだけのことに、「ありがとう」を心から言える人生を送れるか…。それができたとき、ようやく憎しみの念から解放され、本当の意味で人も自分をも赦せるのだと思う…」と、いうようなことを仰っていました。(ズバリの言葉じゃないですが…)これは、私に言われているように感じて心に残りました。

同時に、亡き父のことを思いました。父が倒れ亡くなるまでの1年間、彼は「ありがとう」をずっと言い続けていました。私はそんな父をみて思ったのです。決して、自分にも家族にも幸せである生き方をした人生ではなかった人かもしれないけれど、こんなふうに心身が不自由になって、ボロボロになってゆく様をみて、それでも寄り添っている母や家族や、身の周りの世話をしてくれる多くの方々にお触れし、父はようやく人の無償の愛や思いやりを素直に受け取れ、ようやく「ありがとう」と心の底から言えたのではないだろうかと。

約1年、苦しい闘病生活を送ることになってしまったけれど、その時間は父にとって最高の時であり、邪念や後悔や負の念を残すこと無く旅立つまでに、どうしても必要な時間ではなかったか…と。最期は帳尻合わせて逝ってくれたんだよね。そう願ってやみませんでした。

私にとっても、辛かった幼少期や父への色んな思い…あれはまるで幻だったかのような感覚です。私がそこに置いて来てしまった悲しみや憎しみや怒りの念はすっかり色を変えてしまったような…そんな感覚です。

人生には季節があって、若いときは若いなりの生き方が、失敗や苦悩があって…。でも、そこにもちゃんとみればいくつも幸せがあったこと…。それに気がつけたら真に幸せなんじゃないか…。と、そんなふうに思うようになったいまの自分にもたくさんの失敗や苦悩があって…それでも、そこにはいくつもの人との出会いや良縁があって、ずっと愛をいただいてこれたからに違いありません…。

そのことに「ありがとう」の言葉以外、なにがふさわしいかわかりません。

素直に「ありがとう」と言える人でありたい。出来るなら「ありがとう」をもらえる人でありたい。そして「ありがとう」をみんなで分かち合える人でありたい。な。。と、

そんなふうに真摯に思う今日ではじまる。。

ふむ…。さんぽではじまるだわん…(^(エ)^)