2013年2月16日
人間関係が生み出すエネルギー
今日の西東京はお天気に恵まれておりますが、めちゃくちゃ風が強くて寒く感じますっ。朝のPonta散歩では、冷たい風が顔に吹き付けるものだから、もう〜涙目になってしまって大変でした。まあ、これも、春の嵐か?季節の変わり目であることに間違いないですね。
とさて、今日は家族関係(人間関係)について書いてみようと思います。
家族とは摩訶不思議なユニットだと常日頃から思うひとりです。家族愛、絆、助け合い、励まし合い、愛し合い、憎しみ合い…喜びをともに、悲しみをともに、辛く苦しいときをともに、いいこともイヤなことも、ともに共有しながらに、そこに生まれる関係性の中を生きてゆく最小単位の「愛の学びの場」であるとも言えるかもしれません。家族はいつの間にか自然発生的にそれぞれの役割を担ないながら生きてゆきます。例えば、親が子供を育てる、子供が親の面倒をみる…など。そうなると、役割には自然と責任も伴うことになり、それはより自然でもあり、より複雑でもある関係性を持つことになる。
家族とは、他人との関係とは違う特別な「何か」がそこにあることを感じます。ときに家族が離散したり、かと思えばここぞという場面で結束したり。なぜ、そうなるのか…私は未だにその「何か」を確信しては分かっていない…ただなんとなく実感していること…
Something is Love…それは「愛」なのか…
広く世の中を見渡せば、様々な家庭環境もしくは家族(人間)関係があり、すべてが理想的な環境や関係性の中で暮らしているわけではありません。生まれながらに幸せな家庭に生まれ育ってゆく場合もあれば、生まれたときから厳しく過酷な運命を背負って育ってゆく場合もあり、一面からみるそのような世の中に理不尽を感じることにもなります。いずれにしても、生まれてから死を迎えるまでの間には様々な出来事に出会いながら変化をしてゆくわけです。
すべては「愛」を学ぶため…
何事もうまいこと回っているときは互いの関係も円滑にさらなる幸せをシェアしながら拡大してゆきます。愛とはそういう質のエネルギーだからです。放っておいても愛は愛として広がってゆくわけです。
However…何かしらの試練やよからぬ問題が発生したときが見どころ(学び)ではないだろうか。まさに、一人一人の愛の本質を試されるときだと私は感じています。
人間は所詮エゴの塊であり、エゴ(自我)が無くなることはありません。ただ、そういう自分自身とどう向き合ってゆくか、これも他者がいないと体験できません。向き合い方次第では、雲泥の差で人生観:幸福観:が変ってゆくということも、辛苦も体験してこそ分かる:してみないと分からない:のだと思います。ですが、人生の大半をかけての体験はしない方がいいと思います。なぜなら…
自己否定、自己犠牲、罪悪感、恐怖、支配、依存、他者との共依存…人はこういう関係性の中にずっと生きると「壊れ」てしまうからです。これらも関係性の中で生み出だされるいちエネルギーだからです。ただ、これは幸せとはほど遠いところのエネルギーであり、本来の愛である自身から切り離された状態になり、一度入ると負のスパイラルに放り込まれ抜け出せなくなる仕組みだからです。。。もしそんな中でもがいているのなら…
どこかで断ち切る…
これしかありません。それはときに辛い決断となるかもしれません。そして、その決断は常にいましかないのです。
何を断ち切るのか。恐怖や支配で従っている自分のあり方であるのか、罪悪感からしている自分の行為なのか、誰か(何か)に依存している自分のあり方なのか、依存し合うことで負の連鎖から逃れられない相手なのか…ずっと自己犠牲に酔いしれていたいのか…
いずれにしても、人は「愛のエネルギー」なくしては生きられない。自分自身を愛で満たせなければ、向き合う相手は愛を学ぶために必要な人を引寄せ、そこで生み出すエネルギーを体感体験することになるわけです。もしも苦痛を伴い好ましくないものであるなら…
それは愛ではなく、自身のエゴが生みだした人間関係でありエネルギーでしかないのです。
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一日いち瞑想、一日一リセット …自分の愛と繋がる瞬間
みなさまいい週末を〜♪^^
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2月度ヒーリング交流会のご案内♪
日時:2月24日(日)14:00〜17:00
場所:ポーザルーム (初めて参加の方には、事前にマップをメールします)
定員:5名くらい *あと2名さま♪* 会費:1000縁♪ 内容:こちらをご覧ください