Author: Sachiko
• 月曜日, 7月 15th, 2013

ときどき「イヤな夢」悪い夢をみて目が覚めます。このところ前にも増してみる回数が増えているように思うのです。。

昨晩(朝方4時頃)またイヤな夢をみて目が覚めました。身の危険を感じるような恐怖ではなく、とても気分が悪くなるものでした。その夢にうなされて「パッ」と目が覚め、隣にいるダンナ(まだ起きていたらしい)に「..umm…I had a bad dream….could be my life…so muh reality…」ダンナにモゴモゴと訴えていたらしい。

みた夢_ものすごい大きなショックと落ち込みと悲しみの感情でした。それを私に見せつけた登場人物がなんと「母」だったのでした。夢のストーリーは、最も愛する存在に”信頼”を裏切られたものでした。

それは過去にあった出来事でも記憶でもありません。(たぶん )でも、とてもリアリティがあったのでいまの私どんな関連性があるのだろう…と、いつになく考えてしまいました。(せっかくなので、気になりついでにちゃんと考えて…もとい!♡で感じて…ブログに残しておこうと思います:)

チェンマイに行ったとき、ボブフィックス氏「夢もカルマを落としている…」と言っていた。なるほど。ならば…そうかもしれない。思い当たる節は多々あるからです。現在の私(娘)と母の関係…正直なところ良好だとはいいきれません。別にケンカをしているわけではありません。ただ「なにか」が障害(影響)になっていて、素直になれない部分が私の中にはあるのです。(おそらく母もそういう部分があるのだろうと感じています)

家族である上での「役割」(母-娘)という関係に嫌気がさしているのかもしれません。子供の頃から、家族に対する思いや家族とは…みたいな概念を持たされて育って来たように思います。それが、正しいとか間違っているとか、そういうことを精査したいわけではなく、ただ明らかに、その概念によってずっと苦しんできた自分がいました。そのことを認めようとしているのだけれど、なかなかスムーズにいかない私があるのだろうということです。認める…簡単そうなのに手強いです。何ともいえない罪悪感や居心地の悪さもあったりするので、きっとこれまでずっと見ないままにしてきた感は否めません。

親とは絶対的な存在。ゆえに子は親に対してはこうあるべき。親を—例えば、学校の先生であったり、目上の人でったり、”ちゃんとした”大人(←なんと曖昧なっ)—に取って代わる構図です。子供の頃は疑うことなくそこに従ってきたのだろうと思いますが、常に「〜すべき」「〜で当然」「〜しなければならない」…です。いやはやこういう人生では息が詰まります。

親も(子も)失敗する。親も(子も)あやまちを犯す。親も(子も)また自分と同じ完璧ではない「人」なのです。

そんなこと♡の奥では充分に分かっているのに、理不尽から受けた傷が生んだマインドが障害になって、なかなか「許す」ことをさせない…。私の中に「どうあれ自分が選んでしてきた人生、すべては自業自得でしょ」…みたいに言い放つヤツと同居しているのです。おそらく、母その人を許せないのではなく、役割としての母その人に「自分たちだって親らしいことをしてこなかったでしょ!」と、過去の:子供の頃の私が:そこで愛を受け取れなかったことを責め泣いている…と感じています。

気づきのときは常にいまここだよ。悪夢はそう言っているのかもしれません。

気づきの段階、決して焦らずどちらの自分も受け入れ、自他ともに癒しゆく道を選択する。そういう生き方を宣言する。きっとそこからはじまるのだろうと私の♡も言っている。。

💗

一日いち瞑想 一日一リセット

あぁ〜チェンマイの空♪

P.S. ボブさんにゆめのつづきをきいてみようかな。。。^^

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