Archive for 10月 2nd, 2010

Author: Sachiko
• 土曜日, 10月 02nd, 2010

9月末、29、30と2日間『楽健法』を受講してきました。( からだ…いまも筋肉痛…@@)

楽健法とは…?簡単にいうなら”足圧整体”とか”ほぐし”というと分かりやすいかもしれません。

足を使って、手足の付け根を足で踏み合ってもみほぐし、身体の循環をよくする健康法です。

(以下、山内宥嚴先生の著書「二人ヨーガ楽健法」参照)

人間の老化は足からやってくるといわれます。視力がおちて老眼鏡をかけるようになり、記憶力が衰え物忘れがひどくなる。そんな症状が現れると、足も弱っていることに気がつきます。ふだんのくらしを振り返ってみても、例えば、車やエスカレーター、エレベーター…などなど、足の働きのほとんどをあずけてしまっていることに気づきます。

足は常に全身の重量をささえていて、その負担の大きさは大変なものです。人間の身体は不思議なもので、負担がかかるからといって使わないようにかばっていますと、かえってダメにします。足に限らず、これは全身にいえることですが、人間が健やかに生活するためには、身体も心も、不断に使っていかなくてはなりません。

長い年月を、病気で寝たきりになったりすると、手足の関節が全く動かなくなるので、そうならないように、たえず、マッサージなどを続ける必要がおこるのです。足は人間の活動の基本となるところです。その足裏には、人間の健康を司る大切なツボがたくさん集まっています。足を丹念にもみほぐすだけで、大ていの病気が治ってしまうと主張する”足心道”などという健康法があるくらいです。ねたきりの病人でも、朝夕、足の指や裏を熱心に何時間もかけてもみほぐしていますと必ず歩けるようになるのです…後略

健康であるとは、何よりも幸せなことだと思います。

私が”すべての女性の美と健康のために”ということを本気になって目指し始めたのも、”健康で

あること”の大切さを何度となく身に染みて思い知る出来事に遭遇してきたからかもしれません。

この気づきまでの道程は、私にとってはとても”痛い”ものでした。その渦中で味わったもの…

まるで不幸のどん底に突き落とされたような絶望と悲しみと、自分を含め人の”愚かさ”に対する

後悔の念でした。

しかしながら、健康体で生まれた方なら、特に若い頃というのは放っておいてもまずます普通に

健康体です。(小病や体調の不具合はあったにせよ…)ですから、大病になって初めて、ずっと

当たり前に出来た事ができなくなるということが、一体どんなことなのかを知る。そうでもない

と、健康のありがたさなどは真には分からないものです。若い頃の私もそうだったと思います。

だからなのでしょう。そんな無知な私に”目覚めよ!”といわんばかりに、病が襲いました。20

代初回、40の時2回目…と。おかげさまで、私の場合は長期化することなくこうして回復する

ことができましたが、もっと”痛”かったこととは、家族の病気でした。一番ショックだったのは、

弟の発病でした。弟はまさに今の私へと導いた最も大きな存在でもあります。彼が「統合失調症」

という診断がされて9年が経ちます。弟は未熟児で生まれ、もともと身体は弱かった子でしたが、

家族の誰もそんな病に襲われるとは思ってもみませんでした。 心が壊れるって。。。

入院直前は普通の青年でした。”その日”を境に、私の見た弟の姿はもう別人でした。。。

入院後はたくさん投与される『薬』により身体はボロボロになってゆきます。一度崩壊したもの

を取り戻すのには、家族の誰もがあまりにも無力でした。

病になるまでの原因・要因はさまざまに絡んでいます。今さらそこを後悔してもどうしようにも

なりません。悲しんでいても仕方ない…残された選択肢とは…身を以て私に気づきを与えてくれた

弟に感謝を贈り、私ができる精一杯の愛ある生き方をすることなのだと思うようになったのです。

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『病になるのには、それなりの原因がしっかり存在している』ということ。身体からの、心から

の、天からの!?その声:メッセージ:を聞けるのは「自分自身」でしかないのです。

健康であることとは、与えられた”その身”を通してたくさんの幸せを体験するために、無条件に

備えて頂いた絶対条件なのです。健康に生んでもらえた=それだけでも幸せなことです。

ならば、その健康を維持することとは、私たち自身の使命であり、自分も他者をも愛する生き方

なのだと、私は思うのです。

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楽健法とは… まさに字のごとし。楽しく、すこやかに、生きる方法、なんだと思いました。